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中学校の話の前に

2019/03/26
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ちなみに、男子十五六人の中で、開成一人、麻布一人、慶應四人

私は、音楽の時間がきらいだった。オルガンが弾けなかったから

苦痛で仕方なかったが、宇佐美で、横笛を吹けるように、なってから、常盤小学校の音楽授業は立て笛に、なっていた。あんなに苦痛でしかない音楽が楽しくなった。それと給食は、残してはダメで、要領が悪いやつがいた。泣きながら、一人廊下で食べていた。私はニンジンがダメ。

隣の女の子はピーマン、とシイタケがダメなので、私の嫌いなニンジンは女の子が、女の子の嫌い物は、私が食べて給食の時間が楽しみになった。小学校卒業前にブレザーの制服になった。

いよいよ、中学入学、入学そうそう、ガラスを割って職員室に謝りにいったら、三才上の姉の担任だった先生が、こんどは

私の担任で、あっちゃん先生と呼ばれていた。

A組、B組の2クラスで70人位。最初のテストで上位20人、と下位20人が張り出され、不覚にも下位20人の筆頭に名前が載っていた。両親は長男の私期待をかけ、お金かけてくれた。

小学校一年から、家庭教師をつけてくれた。

算数、が数学になっても、美術が得意だったが、英語が苦手で、こつこつ単語を覚えるのが、苦手なのに、不思議と英語教師が担任になる。

残念つづきは、次回。