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今回は小中学校時代を過ごした友たちの現在

2019/03/26
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こんにちは、千葉の整骨院、要町整骨院の安藤です。

ともに過ごした幼年期から親の庇護のもとで、何の心配もなく過ごした、日々気が付けば、老境に入ってしまった。

昨日ことより、鮮明に覚えていることがある。まずここに、書く最初に、坂本九ちゃんとの出会い。

小学校低学年の時の事、下校時、オープンカーに乗ってきた、

九ちゃんが、声を駈けてきた。手をふって駈けてきて、と云うので、云われたようにしたら、三越劇場の番組に私が手をふって出ている。こんなに愛されている、坂本九ちゃんとテレビで

云っていた。常盤小学校を43年に卒業するのだが、この学校、

明治6年に開校したのが、現在もある日本銀行の敷地の中をかりて、のち今ある場所に変わった。

私の学年は、ふたクラスで、越境入学している生徒が、半分以上いた。小学校の一二年の担任が加藤先生、けっこう怖かった一年の時は給食が、脱脂粉乳だった。三四年の担任は大学を出たばっかりの新米の佐藤先生。この先生は、ずいぶんかわいがられ、心配を.かけた。というのも、その当時堀留公園が私の遊び場で、他校の子供と交流があり、そこで覚えた遊びをクラス

みんなに教えていた。ボス的な少年だった。

五六年の担任は、忘れもしない。山縣絹子先生。この先生毎日テストをし、その結果をそろばんで、点数のいい順に並ばせる

この学校では素行が良くないので、父親が宇佐美に中央区の施設があり団体生活をしろ、と島流しにあった。

中央区のいろいろな、小学校からきていた。六年生が一番偉く寮長だった。さっそく上級生と喧嘩して勝利。この部屋で一番偉くなった。勉強で驚いた.のは、テストでいきなり二番の成績、自分いた学校では後ろから、数えた方が早かった。

ただ、リュウマチ熱に感染して、ひと月高熱で、膝にみずが、たまったのを、注射器で抜いた。宇佐美学園から常盤小学校

にもどり、卒業式で安藤だから卒業証書を一番最初に、授与されたところを、サンケイ新聞にでかでか、と載った。中学校の話は次回。