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父の介護

2018/10/12
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一緒に生活して本人の希望はお酒を飲めればいいとの事 飲めば陽気に昔話にはなを咲かせいた たとえば北海道の小樽に丁稚で居たころ 夏の暑い日に仲間が堤防からジャンプして遊んでいるのを見って自分も飛び込んでから気づいたのは泳げない事だった 仲間に助けられ命拾いした事とか 徴兵で戦争に行ったが 看護兵だったので待遇はよく中国人を助けて先生と呼ばれていたと懐かしそう話していた そして終戦 ロシアで捕虜生活で寒さと飢えで多くの人が寒さと飢えで 亡くなったそうです 父はハンボケ状態でその場その場を生きている感じで今話していた事が少し経てば覚えていないのです そういえば こんな事もありました 姉が父に昼ごはん作って来ると云う事なので家に帰って見ると 楽しく話をしていたのですが 姉が帰ったら真顔であのきれいな人は誰だいと聞くのです 後日姉にきれいなを

強調して報告したらショックは最小限で済んだみたいです ちなみにそれから父には私が誰かよく聞くようになりました

介護と云っても食事私は昼担当 お風呂で椅子を用意して垢すりとシャンプー おむつの交換ぐらいで特に手はかからないのですが ひとつ困ったことがあります それは夜中トイㇾに行って自分の部屋を通り過ぎて私の部屋に来て寝ているのです これが何日か続くと寝不足で 何度言っても同じ事の繰り返しこれだけは 本当に困ったものです 生活を共にし十三年 父八十七歳で人生の幕をおろすのです亡くなるひと月前からあんなに好きなお酒が飲めなくなり ご飯も食べなくなって穴川の中央病院の院長先生に相談したところ救急車で来なさいとの事 救急隊員が父に向って生きてますか との問いかけ父が最後に発した言葉は あぁでした 二週間後息をひきとりました